精神障がい者として思うところ」

(2013.3.10配信)

 パーソナリティー:茂野俊哉、中村和利

 ゲストスピーカー:山田悠平(大田障害者連絡会 副代表)

 


3月放送アップしました。


今回はゲストに大田障害者連絡会 副代表の山田悠平さんを交えてのOpenSession♪


精神障害者当事者としての山田さんから、精神障害というものがカテゴライズされがちという課題、障害の理解について話す。


知的障害の問題に関わる中村和利、身体障害の問題に関わる茂野俊哉を交え、

どういうスタンスで社会的アクションを起こしているか、個々の問題、お互いに意見交換としても話しを広げる。


↓動画はこちらから↓

http://opensession-tokyo.blogspot.jp/2013_04_01_archive.html

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◆以下、山田さんから頂いた原稿◆


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こんにちは。山田悠平です。

オープンセッションに参加するのは初めてですし、簡単な自己紹介をさせていただきます。

今回の肩書のメインは、大田障害者連絡会、副代表です。大田障害者連絡会は、障害の区分に関わらず横断的な緩やかなネットワークを築くことを目的とした組織です。

私は、その大田障害者連絡会に、大田区内に住むいち精神障害者として、参加しています。

今回お話しさせていただくのは、“精神障害者として思うところ”をお時間の許す限り話していきたいなと思います。


精神障害者というカテゴリーは多くの一般の人が思う感覚に反して、たぶんに幅があると思っています。制度的にみても医学的にみてもです。その辺の状況整理と学術的な見地に立った詳細な説明をする能力がないので、これはあくまでも経験的なものなのですが、精神障害者というものをひとくくりには出来ない難しさがあります。その課題とカテゴリーという切り口から考える障害者理解の在り方をテーマにしばらく話を展開させてください。


カテゴリーにはある種の限界があります。私はそう思います。

例えば小学生や中学生、高校生といった年齢を基準に区分されるものは、容易なカテゴライズです。しかし、年齢以外の要素では、なかなかそのカテゴリーでは、一般化出来ないです。小学生なのに、身長180センチとかいう人いますよね、テレビとかで見たことがあります。小学生は平均して、だいたい身長何センチかわかりませんが、そういう特別な例があると、とりわけ、一般化することは厳しいのかなと思います。

いや、ここでなにがいいたいかと言うと、人間をカテゴライズした場合の限界という意味での愚かさです。

確かに、物事をカテゴライズして考えたりすると楽だし、効率良いし、便利だし、それ自体は否定しませんが、人間という非常に多面的要素がある対象をひとつないしふたつなど少数のカテゴリーに重点を置き、判断するのは厳しいと思います。そういう前提に立てば、障害者理解というものは進むと思います。障害はその人の一部であり、全てではありません。


私は、前々から思うんですけど、多角的に物事をとらえられる人は、頭がいい人だと思うんです。逆に一義的にしか物事をとらえられない人は頭が悪いと思います。

この例は適切かどうかわかりませんが、とある赤い車が道路を走っていたとします。普通の人は、そのまま赤い車だなって理解するでしょう。車に詳しい人は、ポルシェだなとか車種まで理解するでしょう。もっとすごい人は年代や型のモデルの違いまでをもって理解するでしょう。

逆に、車という存在を知らなかったら、テントウムシとかトマトのでかいのがいるなとか、そういうレベルでしょう。

原因はいろいろあると思います。まず、判断するための情報が少ないということも考えられるでしょう。私は、それ以上に考える力の問題だと思います。

まぁ、そういうことを考えると、教育が社会的な差別を減らす一助にはなるのかななんて期待があります。


話しを戻しますと、精神障害者というカテゴリーには、共通項もあるかとは思いますが、千差万別です。

それは他の、知的障害者や身体障害者より、カテゴリーで考えるのが難しいのではないでしょうか。

そういう認識にまず立たないと、精神障害者の当事者だけの社会的なアクションは厳しいなと思っています。その一方で、希望もあって、現象としての精神障害からの課題抽出ではなく、精神障害というフィルターから見えてきた課題抽出であれば、なんとなかなるんじゃないかなと…。なんとかなるっていうのは、共感性を得られやすいという意味でね。個々の問題から社会の問題へ昇華されるというか。

たとえば、多剤多量処方の問題もそうです。薬を大量処方されている当事者がいるという現象だけ取れば、それは個々の問題ですが、その背景に診療報酬の点数表の問題や製薬会社と精神科医療業界のもたれ合い構造など社会の問題としてとらえることが出来ることもあると思うのです。

この辺うまく言葉にできないのですが、伝わりますかね?


また、どうなんでしょうか?このテーマ、最近のマイブームなのですが、逆にちょっと伺いたいのが、他の障害、知的障害や身体障害の方たちの社会的なアクションってのはそのあたりのところ、どういうスタンスなんですかね?障害区分に関わらないネットワークのスタンスもそれと同じかんじでしょうか?その辺勉強不足なので、ぜひ意見交換をしたいのですが。

個々の問題をどう社会化するか。前振りが長くなりましたが、今日はこのテーマを深くいきたいです。


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