「Open Session♪第一回『障害福祉って何?』を振り返る」

(2013.8.11配信)

 

パーソナリティー:茂野俊哉、中村和利
エンジニア:庭野拓人

風雷社中本拠地「HASUNUMA☆BASE」にて収録。

 

2007年より放送開始となったOpen Session♪
今回はその記念すべき第一回放送の原稿を振り返る。
(第一回は2007年09月02日)
実に6年間。
茂野俊哉と中村和利は過去~現在を振り返り、
Open Session♪は新たな局面を迎えます(^^)
 

音声はこちらから (準備中)

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No.1 09-02 / Topic:障害福祉って何?
Guest:中村 和利
Personality of OpenSession♪
特定非営利活動法人 みんなの家

障害福祉を街に伝えていくってテーマで、このオープンセッションはでっち上げられた訳だが、まずは最初に『障害福祉』ってのは何だと言う話し。

障害は大きく分けて、精神、身体、知的と3障害に分けられる。
障害をもつ人には、大人もいれば子どももいる。先天的な病気が原因で障害をもつ事もあれば、後天的に事故や病気が原因の場合もある。障害の状況も千差万別で、日常生活に支障のないものから、生命の維持さえも非常に困難なものまで。

障害をもつと言う事は、どういうことなんだろう?
大雑把な表現でくくると、自分の力で「普通に生きる事の困難」なんだろう。
障害があるがために、自分の力で普通に生きていく事に困難が生じる状況におかれる、それが障害をもつということ。

何故、「普通に生きる事」が困難なのか?
・自分の力で仕事をして、お金を稼ぐ事
・自分の力で健康な生活をする事
・安全に暮らす事
この三つを確保する事が困難だからだ。
またまた大雑把だが、この三つがポイント。
この状況を解消する為の社会の動きが「障害福祉」だ。


福祉には、二つの側面がある。
一つは、支援を提供していく動き。
もう一つは、その支援の内容を良くしていくための動き。これに関しては、次回の
「障害者運動」の中で語られるので、省く。

障害をもつ人々が「普通に生きる」ために、行われる支援は多岐にわたるが、戦後日本では、2つの施策が中心に行われてきた。
・年金手当てなどの、障害当事者への資金支援
・障害をもつ人に、特別な教育や訓練を提供し、その人の能力を向上させる支援

しかし、これらはどれも中途半端で、障害を持つ人の困難な状況を改善してきたとは言いがたい。

年金手当てなどは、決して自己収入の乏しい障害をもつ人が充分な額ではなく、障害を持つ人の所得保障は長い間問題でありながら進展していない。
このことは後で話すけど、障害を持つ人の生活を「誰が?」支えるべきなのかが問題になる。

特別な教育や訓練も、障害を持つ人を一般社会の中で自立させていくような効果をあげることは難しい。
もちろん養護学校や障害施設の職員の取り組みで、本人の持つ能力を大きく引き出す事は出来るが、その引き出した能力が、障害を克服するほどのものであることは少なく、能力を引き出していく為には、様々なものを犠牲にして取り組まなくちゃならない。能力向上の為の教育、訓練に時間を割くために、地域の中で仲間を作る機会を奪われたり、人生のほとんどの時間を訓練ついやして、それこそ人間らしい生活からかけ離れた状況を生み出すことも少なくない。

障害の特性にあった、特別な教育を受ける為に、障害をもつ子どもしかいない養護学校に、選択の余地なく入学し、地域の子ども社会から隔離され、本来手に入れるはずの地域社会の中でのポジションを得る機会を奪われる。要するに、近所に友達がいない状態。
このことは、本人だけの問題ではなく、その地域が、地域の中に障害を持つ人がいることをリアリティーをもち認識する事が困難になる。社会が障害を持つ人に歩み寄る土壌を作るチャンスを逃してしまう。

職業訓練として、作業所で擬似的な労働訓練を受け、月に1万程度の工賃を得る。
子どもの時から「頑張って障害を克服する」ことが良い事と信じ込まされて、作業所でも頑張り訓練して、障害を重度化させてしまうケースは少なくない。
しかも、その訓練の内容が、就職に必要な能力を向上させるようなものでもない。作業所で毎日頑張って作業訓練を受けても、手に入るのは、月に1万円と障害の重度化と就職にはつながらないスキルばかり。

生活訓練をする施設でも、本人の楽しみや人間関係を広げていくことよりも、例えば、一枚のハンカチを自分でたためるようになる訓練が重視され、毎日1時間とか2時間とかかけて、何年もかけて、一枚のハンカチを自分でたためるようになることが、本人の可能性を広げる為の訓練として続けられてきたりもする。

生涯にわたり「頑張って訓練して障害を克服する」生活をし続けることと「人間らしく生きる」ことは相反する状況になってしまっている。
到達点や達成点のない教育、訓練の繰り返しの中に多くの障害をもつ人はいる。しかし、そのような状況しか用意されていない、障害をもつ人とその家族は、その中で喜びを見いだし、前向きに生きてきているのが現実だ。

近年、障害を持つ人を弄繰り回して、結果の出ない教育訓練をエンドレスに続けていく状況に新しい切り口が提供されだした。
・ホームヘルパー、ガイドヘルパー、ジョブコーチ、手話通訳派遣など、障害を持つ人の困難を補う支援。
・社会に対しての啓蒙活動や法定雇用率、バリアフリー法など、社会の側を障害をもつ人側に歩みよらせる支援。
この新しい視点での支援は、障害をもつ人の能力を補い、人間らしい生活を手に入れるためには、本人の努力だけではなく、他人の直接的な支援や、社会の側が障害を持つ人を受け入れていくよう変革していく事が中心になっている。

重度の障害をもつ人が、自分だけの力で、普通に街で生きていく事は困難だが、24時間ヘルパーが支援すれば可能だ。

作業所の中で、職業訓練のようなものを繰り返すのではなく、ジョブコーチと共に実際に企業の中で、実践の仕事の中で訓練し、本人も実践的なスキルを手に入れ、企業も障害を持つ人を受け入れていく状況を目の前に障害を持つ人と一緒に整備していけば、就職できる障害を持つ人は増えていく、障害を持つ人を受け入れられる企業も増えていく。

障害をもつ人々が「普通に生きる」ために、行われる支援は、新しい局面をむかえている。障害福祉は新しい局面をむかえている。障害をもつ人を集めて、結果の出ない訓練に時間と費用をついやす不毛な状況から、支援者と共に社会の中に出て行き、自分自身も社会も変わっていく状況に。

しかし、この新しい状況は、かなりの困難の中にある。
障害を持つ人に直接的な支援をするのには、莫大な予算が必要で、国を挙げて、地域を挙げて取り組まなくては確立ができない。

障害をもつ人を受け入れる社会にしていくためには、競争中心の社会の状況そのものが変わらなくてはならない。

さて、障害をもつ人々が「普通に生きる」ことを保障するのは誰なのか?この問いに対しての答えが、今後の障害福祉の行く末を決めていく。長年投げかけられてきた、この問いには、ふたつの答えが用意されている。
家族か?   社会か?

障害をもつ人々が「普通に生きる」ための支援は、障害福祉は、ずっと、家族が支える状況を補う事を前提に行われてきた。ここ大田区でも、例えばホームヘルパーの利用は、同居家族の出来ないところを補う事が前提である。

・家族のことは家族で、それが当然だろうって考え
・障害を持つ人が普通に生きる為の支援は社会全体がしていくべきって考え

このどちらの答えをみんなが選ぶかによって、さっき話した、新しい障害福祉の流れが進んでいくのか、断ち切れてしまうのかが決まってくる。

僕は当然のように、社会が100%障害をもつ人々が「普通に生きる」ことを保障するべきだと考えている。
でもこれは、障害を持つ人を良く知っていて、大切な人たちだと思っているからなのだと思う。
知らない事に、人間は理解を示す事は難しい、正しいとか、間違っているとかではなく、知っているか、知らないかが判断を決めると思う。
だから、ひとりでも多くの人に、障害を持つ人に関心興味をもち、知っている人になって欲しいと思う。